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18年前の今日『阪神淡路大震災』追悼の日 [想い]

今朝、あの時刻、5時46分の直前に目が覚めました。
あの瞬間もこの寝室で、そしてあの恐怖を体験したこと、その後の日々を思い出して
また言葉にできない思いで、しばらく身動きができませんでした。

幸い、家族にけがもなかったけれど、未だ身体に残る痛みと恐怖は、時に溢れだして
きます。
この18年、日本の各地で、世界の各地で地震や津波によって辛く悲しい、口に出すこと
もできない経験をした人たちもまた、自分では解決できない痛みを抱えていることを
改めて思いながらこの時間を過ごしました。

本当に犠牲になられた方々のご冥福をお祈りします。
そして、同じような痛みを抱えておられる方々が少しでも楽になるように、これから私
ができることをやろうと静かな決意をしています。

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2013年あけましておめでとうございます! [想い]

静かに年が明けました。
除夜の鐘の鳴るころ外に出たらマイナス1度という表示。
寒い夜です。
その分夜景は、昨年1年分の汚れたものを一層するかのごとく、
美しく光輝いて見えます。

今年は、嬉しいこと、楽しいこと、美しいことがたくさんある年にしなくちゃね。
私も一歩一歩前進していきます。
みなさん、どうぞ今年もよろしくお願いいたします。

結局なんでも”愛”なんやねぇ [想い]

先日、地元で有名なケーキ屋さんに行きました。『syotani』と言い、店舗(庄谷倶楽部)は
何ともまぁゴージャスなしつらえ。人の入りも盛況、種類は多く、しかも安価というちょっと
嬉しいケーキ屋です。http://www.shotani.com/shop2/index.html#shop04
cake.jpg
さっそくお味見です・・・・・・うん、まぁ美味しいかな・・・でも、かのこ庵に比べるとイマイチ・・・

その夕方、かのこ庵(フェスタ立花南館1F/ホームページ電話なし)の店主のお兄さんに
その話をしました。
私「あのね、syotaniのケーキを久しぶりに食べたんやけど、やっぱりかのこ庵の方が
美味しいねっていうのが会社のスタッフ全員の意見やったんですよ。何が違うんでしょう
かねぇ?」
かのこ庵店主「そりゃ”愛情”ですよ」(笑いながら)
私「おっ、愛情ですか!?」
かのこ庵店主「愛情込めてますからね」
私「そうですよね~~(納得!)」

そうそう、何でも”愛”なんです。いくらいいものでも、そのものに愛を込め、受け取る人に
愛を感じないと、本質は伝わらないんですよね。
私も、常に、仕事のときに同じことを感じています。
コンテンツ(ケーキ屋ではケーキそのもの)は質も高く、作り手の技術も高いことは、あって
当然です。しかし、それ以上に、作り手の込める愛情がその価値を高めます。
私は、ご依頼をくださる担当者(組織)の方への愛、セミナーや研修に参加される参加者の
方々への愛、お伝えし一緒に学ぶコンテンツへ込める愛、これらがないと私は仕事ができ
ません。
本当にその思いが毎年強くなってきます。
実際に、”愛”を全く感じることができないコンペなどの仕事のときには、私の無意識は拒否
を示すのでしょう、ひたすら眠くなります。本当に眠い!信じられないほど。
心と体は同調します。「本当に正直な私♪」と自分を褒めてあげます。

私の知人の中には、コンテンツ(内容やテーマ)への強い興味関心があっても、それを受け
取る人への興味がない人がいます。いつも、新しいテーマや事象を追いかけていて、それ
らを「私はこんなこと知ってるんやで」とばかりに、披露することに喜びを感じている人です。
飛び石を軽やかに飛ぶような仕事なのでしょうが、私から見ると、コンテキスト(背景や人
の思いなど)に気を配らず、深みのない、とても残念な仕事のスタイルです。
人よりモノ、コトへの愛なんでしょうかね。
仕事の本質は、『人』の変容であって、最後に残るのはやはり『人』なんですけどね。

もうすぐまた新たな年の幕開けです。
2012年のテーマは”愛”になりそうです。

☆愛情いっぱいのめっちゃ美味しいケーキを作ってくれる『かのこ庵』店主の味と思い
 を味わいたい方はぜひ、私のオフィスに遊びに来てください(*^。^*) ご馳走しますよ。

「なので・・」と「・・・けれども」 言葉の使い方イロイロ [想い]

人は、それぞれ自分の潜在意識に蓄積されている経験と思いを、言葉にして
意識化していきます。人に伝えるとき、あるいは、内面で自分自身に話をする
時も言葉が必要です。
自分がどのような言葉を使っているのかに注意を払い、その言葉が相手にど
のような影響を与えるのかについて意識を向けることは、私たちにとって本当
に大切な技術の一つでもあります。

自分の想いを豊かな語彙で表現し使いこなせるようになりたい、という私は思
っています。
名作と言われる小説、エッセイ、果てはコミックであったとしても、言葉の持つ
強さと美しさに私は、感動し、自分の潜在意識にある”何か”が触発される経験
をたくさんしてきました。言葉の力、「言霊」があると信じられる瞬間がたくさん
あります。
そんな思いを持たれている方もたくさんいらっしゃると思います。

私は、その方の経験や価値観にあった、できるだけわかりやすい言葉を使うよう
にいつも心がけをしています。これは仕事上、年配のかたから小学生までを対象
にして、”小難しいこと”をお教えしなければいけないということもありますが、
何よりも、共通の言葉を通じてお互いの共感関係を作ることができる喜びがある
からだと言ってもいいかもしれません。

言葉は時代で変わり、世代でも変わります。新しい言葉は時代とともに生まれ、
時代とともに変化し、消滅していきます。固定されたものはもしかしたらないの
かもしれないとも思います。だからこそ、面白いのでしょうが・・

気になる言葉で、「〇〇けれども、〇〇けれども、〇〇けれども・・」と、言葉を
いったん「〇〇です。」と切らずに、ずっと続ける言葉遣いがあります。
私、かなり違和感を覚えます。
「短く切らんかいっ!聞き苦しいやないか」と一人突っ込みを入れる私がいます。
わかりやすく論理的で聴きやすい言葉で話ししてくださいね。

更に、これが最近の私の中で最大で、どうしても耳障りで、どうしても許せないと
自分の直感がいつも警告を鳴らす言葉かあります。
それは、言葉の最初に「なので、〇〇〇・・」と、まるで、「なので」が接頭語である
かのように使う用法です。
「なので」は、「〇〇なので・・」と使うならわかりますが、使い方間違ってるやろと
いつも突っ込みを入れたくなります。使っている本人にしてみると大したことではな
いと思っているでしょうし、口語として使うのには、便利な言葉なのかもしれません。
しかし、私は強い違和感をいつも抱きます。
日本語の文法としても間違っています。言葉が時代とともに変化する言っても、
文章として活用されているのを見ると、ますます日本語の基本的な学習が必要で
あると思います。
正しい言葉を使って、視聴者やリスナーに対して情報を提供するアナウンサーであ
っても、この「なので・・・」を使う方が大変多くなってきました。
私は、気づくと、放送局に対してこの言葉の間違った用法についてコメントをします。
(クレーマーではありませんよ。改善のご提案です)
それに対して、今まできちんと返答があったのは、FMあまがさきだけでしたね。
さすが市民の声を大事にするローカルFMだと思いました。

口語として活用するのであれば、「けれども・・」「ですので・・・」「だから・・・」「そういう
ことで・・」などの言葉を使って欲しいと思います。
仕事先で、「なので・・」と言われたら、その人の社会人として、職業人としての基本的
な姿勢やマナーなどを私は、疑ってしまいます。幼稚な言葉として受け止める人もいる
ようです。
仕事をする上で人とのやり取りをするとき、お客様に説明をするときなど、正しくきれいな
言葉を使うことは、相手にいい印象を与え、それによっていい関係を構築することになり
ます。

もちろん、その他にも、耳障りだったり、あるいはこれはなんだ?!と思うような言葉は
たくさんあります。短縮語などは、何言ってるの?と全く分からないものもあります。
先日、ツイッター上で使われている短縮語を教えてもらいました。
「OMG」=Oh My God 、「THX」=thanks 「IDK」=I Don't Know
だそうです。
わかるような、わからないような・・
はっきり書けって言うのは難しいのかな。ツイッターだから仕方ないのかな。

ですが、これは言えます。
言葉は相手にわかるかどうか、がとても大切であるということ。
”ビジネスぶった”人がよく、横文字やら小難しい専門用語を使っていますが、あれは、
本当にわかっていないということだと私は思っています。
状況に対して適切であり、相手に分わかる言葉を使えるのは、本当にわかっている人
であり、コミュニケーション能力の高い人であるとも言えます。

そういえば・・以前、たわいのない家庭のちょっとしたことで夫婦喧嘩をしていて、夫が
「そのソリューションは・・」と言った時には、驚いてひっくり返りそうになりました。
「その問題の解決の方法は!」くらいに言えんのかっ!?と、別の論点で喧嘩が再開
されましたが・・・いやいや

人は、それぞれ価値観の枠組みを持っています。大らかで柔軟で誰でもウェルカムだよ♪
と菩薩様のような人間になりたいと思います。めざせ!菩薩様!です。
また、人はその人の意図によって価値観を形成し、行動します。他者に対して自分の力で
変えろ!とねじ伏せることはできません。多様な価値観と多様な生き方があるのが当たり
前で、その中から共通点を見出して合意形成していく社会のありようであって欲しいと、
強く思いつつ仕事をしています。
人それぞれ、気になる言葉、耳障りな言葉は違っていて当たり前でしょうし、それを強制的
に変えることは本人がそう思わない限り、難しいことです。
よくわかっています。これでもかなりハードな経験をしてきましたから。

しかし、私は、まだまだ俗世界のペーペーのピヨピヨ人な間だと打ちのめされます。
なぜなら「なので・・」l言葉を使う人に対して、「言葉の使い方に注意を払わない人はその
人がどのようないい言葉を使っていてもアカン人やねん」という”偏見”を持ってしまうから
です。
たった、一つの「なので・・・」という短い言葉が、その人への信頼感や果ては人格の問題
にまで及ぶような意識を持ってしまう私は、まだ修行が足りない・・と自分を責めます。
[どんっ(衝撃)](ビシッ!)
[あせあせ(飛び散る汗)] (アウッ)
しかし、どうしても仕方ないんですよね。気になって気になって。この耳障りな言葉が。
これを聴くと、次の言葉が素直に入ってこなくなり、本当に困ります。
そして、日々、自分の中の”偏見”と戦う私がいます。

どうぞ、私の周りにおられる方々、これから”正しく””いい言葉”を使ってください。
よろしくお願いします。
フェレットこれからよろしく.gif

天国の井口さんへ [想い]

先日、宝塚市立女性センター時代の旧友や先輩(オネエサマたちなど)が
同窓会のような形で集まりました。
宝塚市に女性の地位向上や活躍を推進するセンターができてもう23年経ちます。
ここは、全国の女性センター(現在は男女共同参画センター)の中の先進地であり、
宝塚の実践が広く全国に広がって、今の男女共同参画センターのあり方を作って
きたといっても過言ではありません。
私は、ここで95年~97年を専門員として情報提供や企画などの仕事をしていました。
本当に今の私があるのは、この宝塚市立女性センターでの実績があるからです。
ここで”育ててもらった恩返し”が、今の仕事の基盤になっているのかもしれません。

この23年間、ここで育って、ここで学んで、ここを大切にしてきた仲間が40名ほどが
集まり、時をさかのぼってワイワイ言いながらたくさんの共有をしました。
その時、この間本当に私たちに大きなものを残してくださった、3年前に亡くなられた
井口容子さん、5年前の藤川さん、この2月に急逝された森綾子さんの3人の方を
偲んで、みなさんからたくさんのお礼と、大きな足跡を残してくださったことへの感謝
の気持ちが述べられ、全員で黙とうをしました。
私も、井口さんの最後の部下としてたくさんのことを教えていただけたこと、それが今の
自分を作っていること、今もなお私の傍にいて、指導してくださっていると信じていること、
そして、井口さんが眠っておられる花いっぱいのお墓を大切な家族の方々が守ってお
られることなどをお話ししました。
本当に、みんなの気持ちの中に井口さんは今も生きて存在されています。
宝塚という小さな街が、これほど大きな影響力を持ち、今もなお発展しているその礎を
作られた井口さんを誰一人として忘れていない、ということを改めて感じます。
これかでもすぐにドイツに飛んで行って、そしてお墓に行って、そのことを直接お伝えし
たいと思う気持ちでいっぱいです。
機会を作って必ず参ります。その時にはまたいろいろなお話をしてください。

どんマス その2 [想い]

馴染みの店にボトルキープするってことは普通にあること。
それも、何年も行かないと流れるのも当たり前にあることでしょ。

どんマスは、昔馴染みのお客さんのために、”箸袋キープ”してくれてます。
一緒に行った夫にも私にもちゃんと出してくれました。
感激です。この心づかい。
(ここにチラッと見える字は、何年も前に書いた自分の名前です。
前から全然変わってへんのね、妙に感心したり、成長せんなぁ相変わらず
下手な字やなぁ、とお互いにけなしあったり・・・)
P11105182.jpg

ホスピタリティって結構簡単に使ってしまう言葉ですが、こんな箸袋一つに
これが本当のホスピタリティなんだと、ある種の衝撃を受けました。

どんマスから多くのことを学びました。
私にできることはまねっこします。

次に行った時にも、箸袋出してくださいね。

どんマス その1 [想い]

最近、もう30年近くのお付き合いになろうかという、おでん屋「どんぐり」に行ってきました。
元々、夫が学生もどきだった時に、ずっと夕食のお世話になっていたお店。
その関係もあって、まだまだ初々しい時代の私も、常連として通っていました。

前に行ったのは何年前だったかなぁ。どんマス(どんぐりのマスター)は元気かなぁ、
そんなワクワクする気持ちで、京都市北区にある車一台がぎりぎり通れるか!?という
細い道を走ります。同乗している息子は、道の狭さと同時に、京都らしい風情のある街並み
に、何か気持ちが動かされたらしく、「京都市内の大学がよかったなぁ」と話しています。
ホンマ、ホンマ。京都で学生生活を送るとエエで。

久々に顔を見たどんマスは、私たちがそうであるように、年齢を重ねておられました。
でも、豊かな時間を共有した同志ならではの感覚ですね、すぐに”あの時”と今が、時世を超えて
つながります。むしろ、重ねてきた時と経験が、人の生きざまと、そこから繰り出される話題をを
更に深めることができるものです。
どんマスは、料理人であり、同時に、人はどう生きるかと言う壮大なテーマについて、自分の
経験と言葉で語ってくださる哲学者でもあります。

今回も、仕事、学び、楽しみ、迷い、様々な若造の問いかけに対して、かつも、そして今も
深い解答と気づきを与えてくれました。
同時に、京だしで味の沁みたおでんや、心のこもった色んな料理が、目も舌も身体も喜ば
してくれます。
P11105142.jpg

何か思った時、迷った時、ちょっと背中を押して欲しい時、大切な人と大切な場を共有したい時
こんな古巣のような店があるって幸せですよね。

どんマス、ご馳走様でした。
美味しい料理と温かい言葉、本当に感謝しています。

森綾子さん本当にありがとうございました。 [想い]

今日、「偲ぶ会」に参加してきました。
森さんへの感謝の気持ちと同時に、深い悲しみから、私が次の一歩を作るための参加でもありました。
たくさんの方々の献花の中、小さな写真立ての中ででほほえんでおられました。そのお顔を見ながら
私の中にある森さんの大きな存在に改めて気持ちを寄せています。

17年前、宝塚市立女性センター(当時)に市民として出入りしていた時から、森さんは、女性として、フェミニストとして、職業人としての私のメンターであり、モデラーです。
さりげない彼女の一言や、その行動が、私の価値観を根底から覆し、新たな視点を創ってくれました。そのような場面がどれだけ多くあったことか。今、思えば、宝物のような出会いです。
それから以後、「森さんだったらどう考えるかな、どう話すかな、どう行動するかな」と、いつも私の中の一つの基準となっています。今もなお、そしてこれからも本当に大きな存在です。


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   あなたが私に教えてくれたことはしっかりと私の中にあります。
   これから、それを次につなげることを私自身の役目と心に決めて動き出します。
   さぼっている私を見つけたら、高い空の上からまたあの時のように暖かく厳しく
   叱ってくださいね。
   森さん、本当に、本当にありがとうございました!
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